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勝地本来無定主

 渋沢栄一先生は、埼玉が世界に誇る
著名人です。「道徳経済合一説」を唱
え、幕末から昭和の初めまで、近代日
本の礎を築いた偉人です。
 秩父地域は渋沢先生の御陰で、今が
あると言っても過言ではないほど、先
生の足跡が大きく残っている所です。
その中でもとりわけ長瀞とは縁が深
く、様々な物を残されています。
 秩父鉄道の長瀞駅前に、左の写真の
碑が建っています。「ながとろは て
んかの しょうち」と読みます。ここ
で刮目すべきは、この勝地という言葉
です。耳慣れない言葉なので、辞書で
調べると「景色の良いところ」と書か
れてます。又、出典は下記の白居易の
詩にあるとされてます。

勝地本来無定主
《しようちは もとより さだまれる
あるじなし》
大都山属愛山人
《おほむねやまは やまをあいするひ
とに ぞくす》

「勝地は天下万民の物であり、そこを
愛する人のものである」と訳せるので
はないかと思います。

 渋沢先生の本心がどこにあり、景勝
でもなく、絶景でもなく、勝地という
言葉を使われた意味を、今では想像す
る以外に方法がありません。
 しかしながら、こうして元の意味ま
で勝地という言葉を辿ってゆくと、先
生の言わんとされたことがおぼろげな
がら見えてくるようです。今更ながら、
渋沢先生の器の大きさを思い知らされ
る気がします。

 また、秩父鉄道が経営される有隣倶
楽部にも下の写真のような書が残って
います。
《徳は孤(こ)ならず、必ず隣(とな
り)あり》昭和己巳年(昭和4年)
90歳の翁青淵書 出典:論語里仁
編。

 青淵とは渋沢栄一先生が、晩年使わ
れた雅号です。

 やはり、秩父鉄道系列の旅館である、
養浩亭の店名も青淵老人の書とありま
す。大正壬戌(大正11年)8月の日付。
これは孟子の《養浩然之氣》が出典で
す。
 この他、長瀞に於ける中国古典が出
典と思われる物に、白居易の長恨歌中
の《7月7日長生殿》からか、《福徳
長生》からか、秩父鉄道系列の旅館長
生館もあります。
 さらに、岩畳には蘇東坡の赤壁の賦に
ちなんだ秩父赤壁もあります。

※長生と赤壁の由来は継続研究中です。




新発見か!?
有隣倶楽部で見つけた魯山人の書!?《一雨萬山の青》と読める。